毒親育ちのブログ・毒親サバイバーの私の人生

親に可愛がられて育ったと思っていた私は、実はアダルトチルドレンでした。ことのカラクリに気づいた私の人生を綴ります。

親に嫌われていることで傷つき、落ち込み、親に対して恐怖におののいている娘がいるから毒親は自分に自信が持て、生きていける

 

このブログで何度も書きますが、

私が物心がついた頃から、既に姉は毒親から異常に嫌われていました。

 

 

 

特に父親が、姉のことを異常に嫌っていました。

 

毒親は、口に出してはっきりと、自分は長女(私の姉)を嫌っているということを言うことはもちろんなかったので(普通の家族と世間から見られたいし、自分の本心を自分自身にも隠す人間なので。)、嫌っている理由をはっきりと口にすることはありませんでしたが、私が子供の頃から感じていたのは、姉が「暗い(喋らないから暗い人間と親は考える)、大人しい、よく泣くから弱虫(今思えば、親が姉をいじめるから泣いていた。)、自分(親)を好いていない。(今思うと、親が姉を嫌い、精神的にいじめるから、まだ幼児の姉が、親を好きになれなくて、怖がるのは当たり前。)」等のように感じていました。

 

 

 

 

そして、毒母は、毒父が姉を異常に嫌っているので、自分も一緒になって嫌い、(母親は、人が認めていればその人を認め、人が認めていなければその人を認めないという、完全に自分の意思のない、他人に物事の価値を委ねる性格です。)

 

 

 

父親が嫌っているので、その人には、父親が思うように価値のない人間だと毒母は思うみたいです。

 

 

 

父親が姉を嫌っていて、その父親の味方に母親がつくことで、キチガイの父親からの攻撃を母親は免れられるし、父親からも父親自身の味方につかれたことで母親は気に入られる。

 

そして父親と一緒になって母親は姉を嫌うことで、父親と母親との間に同盟が組まれて、そのことで夫婦仲が良いとできる。

離婚するような険悪な仲でなく、普通の仲の夫婦として世間的からは見られるとできるので、長女(姉)の存在は毒親(特に母親)にとって好都合だったと、今は思います。

 

 

 

 

 

 

又、姉は幼児の頃から、自分は親に物凄く嫌われていることで、傷つき、落ち込み、精神的に暗くなっていたのですが、それを毒親は、「落ち込んでいる人」としてみるのではなく、

 

「暗い性格の人間」「そういう人間」として、レッテルを貼り、益々姉をバカにしていたのですが、姉は、そういう人間である、バカにできる人間であると毒親が思うことで、

 

毒母は、自分は姉より明るい人間であると思い(毒母自身と、まだ幼児の長女を比較している)、そう旦那(毒父)や自分(毒母)の兄弟達から見られていると感じて、自分に自信が持てるという感じでした。

 

 

 

 

今になって思えば、自分に自信を持ちたい、自分に自信を持たないと生きていけない毒親にとって、長女(姉)は好都合な存在だったのだと思います。

 

 

 

 

正にそのために、姉を利用し放題。

 

 

 

そして、それを誰も咎める人はいない。

 

むしろ、親は私達娘をきちんと育てていると見られ、立派な親のように世間や親戚たちから思われている。

 

 

 

そう世間から自分達は認められていることを感じて、今思うと、毒親は生まれて初めて世間や自分の家族から認められたと、自分に自信を持てるようになれたように思える。

 

だから私達が生まれたからは元気そう。

 

 

 

 

要するに、私達(娘)の存在によって、キチガイ毒親が何とか自分に自信を持って生きれるようになっていったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

私が二十歳過ぎ頃からカウンセリングを受け、親の本性を知って思ったことなのですが、毒親の考え方からすると、

 

毒親の考え方は、娘(姉)が傷つけば傷つくほどに喜び、快感を得る。

姉が暗くなっているのを見て、自分(毒母)の方が明るい性格として自分に自信を持つ。

 嫌がらせが趣味。姉をいじめることで、自分(毒親)が強くなったと感じるらしい。】

 

 

 

多分、私が妊娠をした頃から、わざと私の方へ話しかけたり、毒母自身の体調を優先して、姉をぞんざいに扱い、姉に我慢をさせる。

 

お腹の中にいる私を姉の前ではわざと気にかけて、姉の嫉妬心を煽ったり、わざと姉を親にとってはどうでも良いような存在のように扱ったのではないかと思います。

 

 

 

姉の嫉妬心を感じることで、自分が必要とされている、求められていると感じられ、今までと真逆の人間関係に快感を得て、自分が重要な存在と感じれることで快感を得て、自信が持てる。

 

 

 

 

多分、私が生まれてからは、姉への嫌がらせのためにわざと、私ばかりの世話をしたり、注目をする。

周りの人間も、私ばかりに注目をする。

 

 

まだ幼児の姉は私に嫉妬をするが、それを感じて、特に毒母はわざと姉への当てつけのために私ばかりの世話をしていたと思います。

 

 

要するに、完全なる嫌がらせ。イジメです。

 

 

毒母の行動や意識を姉が感じて、姉が傷つき、落ち込んだのを感じて、毒母は喜ぶ。快感を得る。

 

 

 

 

姉が暗くなっているのを見て、姉は落ち込んでいるからではなく、そういう性格の人間として決めつけ(毒母にとって、暗い人間であって欲しいのだと思います。)、毒母は自分と比べて自分は姉より明るい性格と思い、そのことで自分に自信が持てる。

 

 

姉からの自分に対する嫉妬心を感じて、娘達から自分の愛を欲しがられている、自分が引っ張りだこの状態であることによって、毒母にとっては今までとは真逆の人生となっていて、自分の存在価値を感じられる。

 

 

 

 

 

 

姉への嫌がらせの為に、わざと私を赤ん坊の頃から贔屓していたんだと確信した時がありました。

 

姉は姉が36歳の時に事故に遭い、知的障害者となったのですが、

知的障害者となった姉と、私と毒母の3人でいた時に、毒母がわざと私を否定して嫌う態度を見せ、姉の方を贔屓する態度を見せたのです。

 

 

 

子供の頃は、私の方を毒母は贔屓していたのですが、姉が知的障害者となってから、わざと私への当てつけのように、私の前で姉を贔屓して見せたときに、

 

 

 

「この人(毒母)まだやっている」と私は思い、幼児の頃なら嫉妬するかもしれないが、30過ぎた大人だから姉に嫉妬なんかするわけない。と私は思っていました。

 

 

 

 

そう、私への嫉妬心を煽るためにわざと毒母が姉を贔屓して私に見せているのを、その時に非常に私は感じたので、

 

 

それまでは、私が姉より明るい(親が言う明るいとは、喋る人のことです。話している内容は全く関係なく、嫌味でも何でもよく、話していれば明るい人と親は思います。)けれど、姉は、大人しくて暗い人間とみていたので、

それで私の方を親は贔屓していたと思ったのですが、

 

 

 

知的障害者となった姉となってから3人でいたときは、私を嫌い、姉を贔屓してみせたので、その時に、単なる姉への嫌がらせのために、わざと私を贔屓していたのではないかと思いました。

 

 

 

毒母にとっては、贔屓するのは姉でも私でもどちらでも本当は良かったのだが、

父親が姉を嫌っていたので、父親の方につくために、わざと姉の方へ嫌がらせをしていたのではないかと思うようになりました。

 

長くなるので、続きは次回に書きます。

 

毒父のキチガイっぷりを、「強い・怖い・王様」のように考える毒母

 

私は〇〇数年前に、田舎町で生まれました。

 

 

家族は、4つ年上の姉と両親がおり、私が生まれた当時は市営アパートで住んでいました。

 

 

 

 

 

私が物心がついた時には、既に姉は両親から異常に嫌われていました。

特に父親が姉を異常に嫌っており、母親は、キチガイである父親のことを、怖くて強い人、偉大な人間のように思っていたので、

姉を異常に嫌っている父親に母親自身が同調をすることで、父親と母親の仲間意識が芽生え、=仲良い夫婦と母親は勘違いをし、

キチガイ(父親)の矛先が姉に向いていることで、自分(母親)は父親からの矛先を回避でき、

 

又、両親に嫌われているのは自分が悪いからと落ち込み、傷ついている姉を見て、自分がバカにできる存在ができたことで、

自分(母親)と姉を比較して、自分(母親)は姉より明るい人間として自己肯定できる、ダメ人間の姉がいることで自分に自信が持てているようでした。

 

 

 

 

 

 

なので、母親は完全に父親のカタを持っていて、父親のすること、言うことなら内容は全く関係なく、何でも良い、許されることとしていました。

 

父親のキチガイっぷり(家族に対しては、王様のようなっていて、常に偉そうに言う。内容関係なく、家族のすること全てをバカにしたがる等。)を、怖い、強い、偉いこととしてみていて、父親の望みや言うことを先読みして汲み取り、それを叶えようとする、父親の手下、家来のような母親でした。

 

 

 

 

実際は父親の手下のようなのに、その事実を母親自身は認められず、(毒親にとっては、弱い人間であることが、絶対的に人としてダメなことなので。)

自分は父親の上に立っている、強い人間と人には思われたがっている(母親自身も、自分は父親と同等又は上の立場であると思いたい。)ので、子供である私は本当のことを言ってはいけない、思ってもいけないように感じ(母親が私がそう思うことを嫌がるから)父親の言うなりの母親という事実を、事実として思えずにいました。

 

 

 

母親は、非常に私や姉を自分の思い通りにさせたい、特に妹の私には、私の思考を自分の思い通りにさせたいという考えがあったと思います。(姉で失敗したと思い)

 

 

 

 

 

 

 

後になって、思ったことですが、

姉は長女なので、母親にとっても初めての子供で、育てるにあたって全てが初めての経験で、新鮮だったので、

初めは大事に育て、姉が泣けばあやすなど、赤ん坊の姉が望むように、姉の意思を中心にして育てていたのだと思います。

 

 

 

 

私が生まれる前の姉の写真を見た時に、姉の表情などから、少なくとも私が生まれた後よりは、きちんと親に相手にしてもらえていたという印象を受けていました。

 

 

昔は、いつも姉が幼少期の頃の写真を見ると、私が生まれる前は、私が生まれた後よりも姉は親に相手にしてもらっていたんだな、きっと、姉はこの頃はまだ良かったと思っているんだろうな。

私が生まれたばかりに、親に妹が贔屓をされ、嫌われるようになったと、私が生まれてきたことを、私の存在を疎ましく思ってきたんだろうな。と感じていました。

 

 

 

 

姉も、妹が生まれるまでは、親の自分に対する接し方が良かったと感じていると、子供の頃から私は感じていました。

 

 

 

 

それは、親や親戚皆が感じているように感じていました。

私が幼い頃から。

 

 

 

 

ですが、そのこと、本心を口に出す人は一人もいなく、暗黙の了解の世界でした。

 

その事実を隠さなければいけない、気づいてはいけないことのように、何でもない、普通の家庭なのだと、そう世間から思われるために。

親はそれを望んでいるうように、気づいてはいけないことのように感じていたので、自分の中でも触れてはいけないことのように感じて、

自分の本心にも、自分自身が気づかないでいました。

 

 

 

今思うと、人生の全てがそういう構造となっていて、親にとって都合が悪いことは、自分が感じていても、自分にも隠す。

だから、自分の本心が自分自身にもわからない思考回路となっていたと思います。

 

 

 

 

 

姉は子供の頃から食べ物の好き嫌いが多い人だったのですが、私は全く食べ物の好き嫌いが子供の頃からありません。

毒母が、私が子供の頃から「姉は失敗したから、私は好き嫌いをなくすようにして育てた」と私に、いかにも「自分(毒母)はしてやった、自分の手柄と私に思わせる為に」私によく言っていました。

姉のことを失敗作として、完全に人として母親はバカにしきっていて、私の方がましな人間として考えているように感じたので、

 

それを母親から私は聞いて、子供の頃から「姉は失敗作で、私は姉よりましな人」として、姉をバカにして、私は姉に対して優越感を持っていました。

 

 

それを受けて、姉は私に対して劣等感を感じていて、自己卑下をしていたので、そう姉が感じているのを私は感じて、私の方が姉より人として上だと思い、

自分に自信を持つという思考回路をしていました。

 

 

 

 

ですが、親はこう思っていると私が感じたことや、私自身の本心、姉はこう思っていると私が感じていることを私自身にも隠し、自分の本心に全く自分自身が気づいていない。

隠さなければいけないこと思っていたようです。

 

親にとって都合の悪いことは、絶対的に隠さなければいけない、どう自分が感じているかは、自分が気づいてはいけないことと無意識の世界で思っていたので(親が嫌がるから(=親が死ぬこと))、私自身にもその本心に絶対に気づけない思考回路をしていたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

姉は私と違って、毒母が何を望んでいて、だから自分はその母親が希望するように考えたり、行動するかを考えない人間だったと思います。

私よりその点では普通の思考回路の人間だと思います。

 

 

 

今思うと、それはきっと、母親が、姉は初めての子供、しかも、母親の兄弟(4人。母親は長女です。)の中でも初めての子供だったので、当初は物珍しく、姉が泣けばあやしたり、赤ん坊の頃に、姉が嫌がれば姉の望むようにするなど、姉の意思を優先して接していたからではないかと思います。

 

 

 

 

だから、姉は親に嫌なことを言われたり、されれば、落ち込んだり、暗くなったり、感情を表にそのまま出していました。

 

親の前でも姉はよく泣いていました。

 

 

 

私が20歳を過ぎて、精神的なカウンセリングを受けるようになり、私の精神の真実を見るようになって私が思っていたことは、

 

多分、母親は、自分の感情を出す姉の気持ちを優先して、叶えてあげていた、姉の赤ん坊時代を反省して、

次に生まれた私は、私が何かを欲求しても、泣いたり、ぐずったりしても、私の要求は無視し、私の中で、私の意思が中心とならないように、

母親の意思が中心となるように接していたのではないかということです。

 

常に私が母親の要求を気にして、汲み取り、母親の意思のために生きるように仕向けようとして、接していたのだと思いました。

 

 

 

 

なので、私は姉と違って、自分の感情が自分にもわからず、親が望むことばかりを気にして、常にそのために考え、行動をする人間になったのだと思います。

 

 

 

 

 

普通の人間から見れば、

姉の方が正常な人間で、妹の私の方が、人の気持ちだけを気にして、その人が満足するようにばかり思考をし、行動をする人間なので、

私の方が、変人なのですが、

毒親からは、私の方が好まれ、姉は暗い、泣いてばかりいる(そもそも毒親が泣かせている)ので弱虫扱いをして、暗い人間としてダメ人間のレッテルを貼っていました。

 

 

 

 

 

 

親からの自己防衛=自分自身と姉を殺していた

 

何故、私が二十歳過ぎまで親に可愛がられて育ったと、自分自身のことを思っていたのかと理由を考えると、

 

姉や毒親や周りの親戚の人達がそう思っている(姉より私が親に贔屓をされている)と、私が幼い頃から感じていたからだと思います。

 

 

 

私の親戚の人達(主に毒親の親、毒親の兄弟たち)とは、私達家族と私が生まれた頃から接してい他のですが、誰も私達家族のことを指摘する人はいなかった(今思うと親戚は全員毒親と同類でした)ので、私は、これが普通の家族なのだと子供の頃から思っていました。

 

 

 

私の姉は、私が物心がついた頃から毒親に既に嫌われており、

今思うと、毒親からの完全な精神的イジメにあっていました。

 

 

 

なので、姉は子供の頃から、毒親と会話をしたことが、本当に全くと言って良いほどなかったのですが、

私は毒親と姉より会話をしていましたし、毒親は姉より私を気に入っていると、姉や親が思っていると、私が子供の頃から感じていたからだと思います。

 

 

 

 

 

 

姉は、自分は異常に親から嫌われているのに、妹は親に贔屓されていることで、私に対する劣等感をものすごく抱いてたようです。

その姉の思いを、毒親や私は、私が物心がついた頃から非常に感じていました。

 

毒親は親に嫌われていることで落ち込んでいる姉を、「暗い人間」と思い馬鹿にし、その姉より妹の私はマシ(暗くない=姉より上)と思っていると感じたので、

私は姉より人として優っているように思い、姉に対して優越感を持っていました。

 

 

 

 

 

今思うと、親や姉達が私は親から可愛がられていると思っていると感じていたから、私自身も子供の頃から私は親に可愛がられて育ったと思っていたのですが、

全て、私の思考回路は、親や姉がこう思っていると感じるから、自分もその通りに思うという思考回路をしていたようです。

 

無意識の中で。

 

 

 

 

 

親は、昔から自分自身の本心を口にすることは100%ありません。

 

口に出して言わないけれど、どう親自身が思っているかを私が察して、その欲求を満たすために考え、行動をしろと、無言で私に要求をします。(態度や嫌味、遠回しにそれを強要します。)

 

そして、親は、そんなことは自分は言っていないと逃げる為に、はっきりと口に出して言わないし、絶対に私に親自身の要求をさせたいから言えないのだと思います。

(親の要求を私に否定されたら、親が精神的に死ぬから。)

 

 

 

 

 

姉は親に異常に嫌われていて、姉はその親を非常に怖がっている。

そして妹の私は姉より親に気に入られていて、贔屓をされていると親と姉、私の家族全員が心の中では思っていて、

姉を完全に心の中でバカにしていたのですが、そのことを口に出すことは一切ありませんでした。

 

そして、私は自分自身が本心ではそう考えていることに気づいていませんでしたし、親がそう思っていると私は感じているということにも自分自身が気づいていませんでした。

 

又、気づいていないことにも、気づいていませんでした。

 

 

 

 

姉は親に異常に嫌われていて、姉はその親を非常に怖がっている。

そして妹の私は姉より親に気に入られていて、贔屓をされていると親と姉、私の家族全員が心の中では思っていて、

姉を完全にバカにしているという事実は、家族や親戚の間では暗黙の了解で、

けど、それには絶対に触れない。

 

 

 

知らないふりをして、表面上は世間から見て、普通の家族と見られるように振る舞い、世間に気づかれていないことで、

我が家は普通の家族と思えるのでした。

 

 

誰も、おかしいと言わず、普通の家族として思っているので、皆が我が家は、これが普通の家族なんだと思っていました。

 

 

 

  

 

 

 

今思えば、自分の家族が世間から普通の家族に見られるようにしていたのは、私です。

逆に言えば、何故、あの異様な家族が、世間から普通の家族に見られていたのか、皆が普通の家族と思うようになっていたのかと考えると、私がそうしていたからです。

 

子供の頃はもちろんそんなことを自分がしているという意識は全くありませんでした。

 

が、今にして思うと、自分で自分の首を絞めていたのです。

 

私によって、誰が喜んでいたか。

得をしていたのか。

 

喜んでいたのは毒親のみで、私によって、私自身と姉を殺していたのです。

 

 

 

母親や父親は二人共、人の目を非常に気にする人間で、人からの目のためだけに生きている人間です。

母親は人から良い母親に見られる為に生きている人間です。

 

 

そして、その親の願望を叶える為に私にそのように行動をするように仕向けていたのです。

 

 

私は、その親の願望を叶える為だけに、思考をし、行動をしていたので、普通の家族と表面上は思えるように、

又、人から見ても、普通の家族と見られるように、私一人が必死で幼児の頃から振舞っていたようでした。

 

 

 

その行動と思考は、幼児の頃の私が、自身の精神を親から守るため(姉のように傷つけられて、精神的に殺されない為)、そして、私自身の自己肯定の為(親から認められることで自己肯定できる)でもあったのですが、

結果的には、私自身が私を殺すためだったのです。

 

 

 

こうして生きてきた結果、10代の頃から私は非常に悩み出しました。

 

 

 

私は、15歳頃から人一倍頑張って働き、お金を貯めて自分の夢を叶えるために行動をしていたのですが、

頑張れば頑張るほどに、自信を失い、自滅していったのです。

 

 

 

人(他人)に蹴落とされるならまだしも、誰(他人)も何もしていないのに、勝手に自滅していく人間なんか

この先何をやってもダメだなと思い、完全に自分への信頼感を失い、自信を喪失していきました。

 

 

 

 

又、親は自信を失っている人間は、弱い、ダメ人間としてバカにするので、自信を失っていることを10代の頃の私は、自分自身でもその事実が認められませんでした。

自分に自信を失っている弱い人間は、完全にバカにするべき人間として親や姉はバカにするので、私もそう考えていました。

 

 

 

親は、私が子供の頃から、常に自信に満ちている強い人間でないと、人として認めない、バカにするべき人間として考える人間でした。

 

 

 

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毒親育ちの私の自己紹介です

初めまして。

 

 

21歳頃までは、私は親に可愛がられて育ってきたと思っていたのですが、

実は、私は親に憎まれて育ち、単なる親の都合の良いロボットだったと気づくようになりました。

 

 

自分は正にアダルトチルドレンだと思っています。

 

 

 

 

私は子供の頃から、自分の意思や感情を持たない人間でした。

 

 

 

正確に言うと、人間なので感情を持っていたと思うのですが、

自分の意思や感情に、全く目を向けないという思考回路をしていました。

 

 

 

 

もちろん、自分自身では、私は子供の頃から感情や意思を持って生きていると思っていたのですが、

生まれた時から、この思考回路で生きてきたので、全くこのおかしさに気づかなかったようです。

 

 

 

 

 

自分は、自分の意思や感情を持っていないという人間であるということに気づかず、

自分は普通に、感情や意思を持って生きていると思っていたので、

そのまま一生涯を送ってしまうところだったのですが、

成長をするにつれ、やはり、色々と自分に疑問を持つようになり、その疑問を追求していくと、

ことのカラクリが見えてきました。

 

 

 

 

 

 

私が自分の意思や感情を持てなかった原因は、私の母親がそういう人間になるのを希望していたからだと思います。

 

 

 

 

 

私が生まれた時から、私は母親に、母親自身の意思を読み取って、母親が何も私に言わなくても、常に、

母親が何を望んでいるかを気にして、母親が望むような、満足をするようなが思考や行動をするように

仕向けられていたようです。

 

 

 

 

 

私には、四つ年上の姉がいるのですが、私が物心がついた頃には、既に姉は両親に異常に嫌われており、(今思うと、完全にいじめの世界でした。)

両親に嫌われていることに、姉は深く傷つき、落ち込み、両親を異常に怖がっていました。

 

 

 

その異常に親を怖がっている姉を目の当たりにして、物心がついた私も親に対しての恐怖心を持っていたと思います。

 

なので、私は無意識に、自分が姉と同じ目に遭わないように、母親が望むように思考をし、行動をするようになったようです。

 

 

 

物心がついた時から私は常に、母親や父親は何を望んでいるのか、どうして欲しいと思っているのか、

私はどうするべきかを考えていたように思います。

 

 

 

なので、親が私に何かを言わなくても、先回りをして親が望むことを汲み取って、

親が望む思考をしたり、行動をしていたようです。

完全に無意識の世界で。

なので、そう考えていることに、20歳過ぎまで私自身が全く気づいていませんでした。

 

 

 

 

後になって思うと、幼児の頃から、まるでキチガイの接待(仕事)をしているようでした。

 

 

 

親との関係は、大人と幼児が完全に逆転していたと思います。

 

 

 

 

 

本当は、常に、母親や父親は何を望んでいるのか、どうして欲しいと思っているのか、

私はどうするべきかを考えていたのですが、

それは、無意識の自己防衛からそういう思考回路をしていたようで、

そう考えていることにも自分自身全く気づいていませんでしたし、

私の本心に気づいてはダメなのです。

 

 

 

 

本当のことに気づくことを親は望んでいないので、(親の理想像が崩れてしまうので。)

 

私は、自分がそうしたいから、私の意思で勝手にしたことと、どこまでも親が望むように思考をする人間でした。

 

 

 

例えば、親と一緒に買い物に行った時、親は私の為にはお金を使いたくないと考えているだろうから、何も欲しくないと言う。

又は、何かを選ぶときは、親は値段が安い方を買って欲しいと思うだろうから、親に気を使って、安いものを『私はこちらが良いから。』という理由で買ってもらう。

私が気を使って選んでいるのにも関わらず、「買ってやった」と親は感謝を異常に要求するので、私が欲しいものを買ってくれてありがとうございましたと感謝をしなければならない。

私が気を使って、親が望むように選んであげたことは自分自身にも隠す。

その自分の真実を親は気づくことを嫌がるから。

 

 

どこまでも、毒親が望む通りの思考をする人間だったのです。

 

 

 

 

※このブログは、

決して親を批判するためとか、「何が悪くて何が良い。」と決める為に書くのではなく、

真実を真実として伝えるために、「こんなことがあった」と真実を残すために書きたくて、書いています。

 

親が望むように、「何もなかった」とはしたくない思いがずっと昔からありました。

 

 

 

 

そして、私がそうであったように、毒親に育てられると、自分が自分で無くなるため、

この苦しみから抜け出すのには、荊棘の道となりがちです。

 

 

 

 

 

 

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