毒親育ちのブログ・毒親サバイバーの私の人生

親に可愛がられて育ったと思っていた私は、実はアダルトチルドレンでした。ことのカラクリに気づいた私の人生を綴ります。

毒父のキチガイっぷりを、「強い・怖い・王様」のように考える毒母

 

私は〇〇数年前に、田舎町で生まれました。

 

 

家族は、4つ年上の姉と両親がおり、私が生まれた当時は市営アパートで住んでいました。

 

 

 

 

 

私が物心がついた時には、既に姉は両親から異常に嫌われていました。

特に父親が姉を異常に嫌っており、母親は、キチガイである父親のことを、怖くて強い人、偉大な人間のように思っていたので、

姉を異常に嫌っている父親に母親自身が同調をすることで、父親と母親の仲間意識が芽生え、=仲良い夫婦と母親は勘違いをし、

キチガイ(父親)の矛先が姉に向いていることで、自分(母親)は父親からの矛先を回避でき、

 

又、両親に嫌われているのは自分が悪いからと落ち込み、傷ついている姉を見て、自分がバカにできる存在ができたことで、

自分(母親)と姉を比較して、自分(母親)は姉より明るい人間として自己肯定できる、ダメ人間の姉がいることで自分に自信が持てているようでした。

 

 

 

 

 

 

なので、母親は完全に父親のカタを持っていて、父親のすること、言うことなら内容は全く関係なく、何でも良い、許されることとしていました。

 

父親のキチガイっぷり(家族に対しては、王様のようなっていて、常に偉そうに言う。内容関係なく、家族のすること全てをバカにしたがる等。)を、怖い、強い、偉いこととしてみていて、父親の望みや言うことを先読みして汲み取り、それを叶えようとする、父親の手下、家来のような母親でした。

 

 

 

 

実際は父親の手下のようなのに、その事実を母親自身は認められず、(毒親にとっては、弱い人間であることが、絶対的に人としてダメなことなので。)

自分は父親の上に立っている、強い人間と人には思われたがっている(母親自身も、自分は父親と同等又は上の立場であると思いたい。)ので、子供である私は本当のことを言ってはいけない、思ってもいけないように感じ(母親が私がそう思うことを嫌がるから)父親の言うなりの母親という事実を、事実として思えずにいました。

 

 

 

母親は、非常に私や姉を自分の思い通りにさせたい、特に妹の私には、私の思考を自分の思い通りにさせたいという考えがあったと思います。(姉で失敗したと思い)

 

 

 

 

 

 

 

後になって、思ったことですが、

姉は長女なので、母親にとっても初めての子供で、育てるにあたって全てが初めての経験で、新鮮だったので、

初めは大事に育て、姉が泣けばあやすなど、赤ん坊の姉が望むように、姉の意思を中心にして育てていたのだと思います。

 

 

 

 

私が生まれる前の姉の写真を見た時に、姉の表情などから、少なくとも私が生まれた後よりは、きちんと親に相手にしてもらえていたという印象を受けていました。

 

 

昔は、いつも姉が幼少期の頃の写真を見ると、私が生まれる前は、私が生まれた後よりも姉は親に相手にしてもらっていたんだな、きっと、姉はこの頃はまだ良かったと思っているんだろうな。

私が生まれたばかりに、親に妹が贔屓をされ、嫌われるようになったと、私が生まれてきたことを、私の存在を疎ましく思ってきたんだろうな。と感じていました。

 

 

 

 

姉も、妹が生まれるまでは、親の自分に対する接し方が良かったと感じていると、子供の頃から私は感じていました。

 

 

 

 

それは、親や親戚皆が感じているように感じていました。

私が幼い頃から。

 

 

 

 

ですが、そのこと、本心を口に出す人は一人もいなく、暗黙の了解の世界でした。

 

その事実を隠さなければいけない、気づいてはいけないことのように、何でもない、普通の家庭なのだと、そう世間から思われるために。

親はそれを望んでいるうように、気づいてはいけないことのように感じていたので、自分の中でも触れてはいけないことのように感じて、

自分の本心にも、自分自身が気づかないでいました。

 

 

 

今思うと、人生の全てがそういう構造となっていて、親にとって都合が悪いことは、自分が感じていても、自分にも隠す。

だから、自分の本心が自分自身にもわからない思考回路となっていたと思います。

 

 

 

 

 

姉は子供の頃から食べ物の好き嫌いが多い人だったのですが、私は全く食べ物の好き嫌いが子供の頃からありません。

毒母が、私が子供の頃から「姉は失敗したから、私は好き嫌いをなくすようにして育てた」と私に、いかにも「自分(毒母)はしてやった、自分の手柄と私に思わせる為に」私によく言っていました。

姉のことを失敗作として、完全に人として母親はバカにしきっていて、私の方がましな人間として考えているように感じたので、

 

それを母親から私は聞いて、子供の頃から「姉は失敗作で、私は姉よりましな人」として、姉をバカにして、私は姉に対して優越感を持っていました。

 

 

それを受けて、姉は私に対して劣等感を感じていて、自己卑下をしていたので、そう姉が感じているのを私は感じて、私の方が姉より人として上だと思い、

自分に自信を持つという思考回路をしていました。

 

 

 

 

ですが、親はこう思っていると私が感じたことや、私自身の本心、姉はこう思っていると私が感じていることを私自身にも隠し、自分の本心に全く自分自身が気づいていない。

隠さなければいけないこと思っていたようです。

 

親にとって都合の悪いことは、絶対的に隠さなければいけない、どう自分が感じているかは、自分が気づいてはいけないことと無意識の世界で思っていたので(親が嫌がるから(=親が死ぬこと))、私自身にもその本心に絶対に気づけない思考回路をしていたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

姉は私と違って、毒母が何を望んでいて、だから自分はその母親が希望するように考えたり、行動するかを考えない人間だったと思います。

私よりその点では普通の思考回路の人間だと思います。

 

 

 

今思うと、それはきっと、母親が、姉は初めての子供、しかも、母親の兄弟(4人。母親は長女です。)の中でも初めての子供だったので、当初は物珍しく、姉が泣けばあやしたり、赤ん坊の頃に、姉が嫌がれば姉の望むようにするなど、姉の意思を優先して接していたからではないかと思います。

 

 

 

 

だから、姉は親に嫌なことを言われたり、されれば、落ち込んだり、暗くなったり、感情を表にそのまま出していました。

 

親の前でも姉はよく泣いていました。

 

 

 

私が20歳を過ぎて、精神的なカウンセリングを受けるようになり、私の精神の真実を見るようになって私が思っていたことは、

 

多分、母親は、自分の感情を出す姉の気持ちを優先して、叶えてあげていた、姉の赤ん坊時代を反省して、

次に生まれた私は、私が何かを欲求しても、泣いたり、ぐずったりしても、私の要求は無視し、私の中で、私の意思が中心とならないように、

母親の意思が中心となるように接していたのではないかということです。

 

常に私が母親の要求を気にして、汲み取り、母親の意思のために生きるように仕向けようとして、接していたのだと思いました。

 

 

 

 

なので、私は姉と違って、自分の感情が自分にもわからず、親が望むことばかりを気にして、常にそのために考え、行動をする人間になったのだと思います。

 

 

 

 

 

普通の人間から見れば、

姉の方が正常な人間で、妹の私の方が、人の気持ちだけを気にして、その人が満足するようにばかり思考をし、行動をする人間なので、

私の方が、変人なのですが、

毒親からは、私の方が好まれ、姉は暗い、泣いてばかりいる(そもそも毒親が泣かせている)ので弱虫扱いをして、暗い人間としてダメ人間のレッテルを貼っていました。