祖父も毒祖父だった。祖父のキチガイっぷりを強い人、偉大な人、神のように崇める毒母とその兄弟たち
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むとにかく私らに対して偉そうで、威張り腐って、私らを完全に下に見ている、バカにしたがる、嫌っている、とにかくものすごい威圧感を感じていて、
私も姉もとにかく恐怖を感じていた。
特に、あのサチエと純子は
多分、私が赤ん坊の頃から、もう私が物心がつく前から女の兄弟達と私の毒祖母や毒祖父達とも付き合いがあり、洗脳されていたんだと思う。
私がまだ生まれたばかりの頃の写真を見たことがあるのだが、
赤ん坊がいることで、 そこでの兄弟や祖父達が表面上明るく、楽しいような感じに見えるとして、私が最大の功績、親善大使となっていたように思う。
私と姉が。
奴らが願う、良い家族のように表面上見えるとして。
それを、奴らは私達には自分たちが可愛がってやったとして、良いおば、良いおじとして見ろと、向こうを立てろと要求をする。
本当は、良い家族に見られたい奴らのために、私達のおかげでそれが叶っていたのに。
私達がいたから、あの、楽しくて、円満な家族のような雰囲気が作れていたのに。
だけど、それを自分たちが良い叔父や良いおば、面倒を見てやったとして、上から目線で威張り腐ってそう思えと感謝を要求する
だから、私は、本当は私らが奴らの願望を叶えてあげた功労者なのに、
あれで、可愛がられたと、あいつらが望むように思わなければならないように感じていた。
恐怖心から。脅迫観念から。
まさに、脅迫。
だから、あまりの恐ろしさに、人をバカにして、してやった!可愛がってやった!!と、責め立てるので、そう奴らが望むように思わなければとんでもない奴となると思い、
奴らが望むように可愛がられたと思わなければいけないと思っていた。
全く、楽しくも嬉しくもなく、苦痛でした無い空間だったのに、
幼児の頃の私達にとって。
こう思えと脅迫する奴は、皆同類
どこが可愛がっているんだと思う。冷静に考えると、
単なる脅迫。
まだ、幼児を捕まえて。
それは、そうはっきりと言葉に出して言うのでは無い。
そうすると、おかしいと誰が見てもそうなるから。
そう表立ってならないように、表面上は何も言わず、言動や態度、空気感でそう伝わってくるのである。
どう考えているのかがわかる。
伝わってくる。
無言の要求。
全てが。
だから、どう感じているか、自分の心に目を向けない私には、奴らの本心が意識の世界ではわからない。
本当は、そう感じているから。
今思うと、生まれた時のアパートにいた時は、純子がよくきていたらしい、
広島にいた時は、ジジイらがきていたらしい。たまに
で、その時に、女が松江に帰りたいと言ったらしい。
それで、旦那が松江に帰ることにしたらしい。
私らからすると、広島が良かったのに。
何故なら、ジジイは来れないし、純子もいないから。
それに、ジジイのところに行けないから、サチエなどの兄弟とも会う機会が減る。
そう、奴らの兄弟らと、親族と会う機会が減るから。
多分、女はそれが嫌だったのでは無いかと思う。
奴らがいることで、私らを殺せるから。
広島では、私らがのびのび、野放し状態になるから、奴らがいることで殺せるから、それでよかったのでは無いかと思う。
女は人生でそれを一番怖がっていたから。
もちろん、当時、広島に行くときも、女が帰りたいからと言って帰る時も、私らに何の相談もなし。
むし。
私達の意見は・
勝手に住むところを変えられる。
無視するのは当たり前の世界。
で、勝手に決められるのは当たり前のことと思い、言われるがままに手下のように、奴隷のようについていかなければならないと思っていた。
そして、大変、大変という女たちを、大変なんだと敬わなければならない、と思っていた。
その頃、ジジイが一人で広島まで来ていたらしい。
写真があるから。
観光案内をしていたらしいが、物心がついた頃からジジイが大嫌いだった。
何故なら、全く愛情のかけらもなく、ものすごく私らを嫌っていて、嫌味の塊のような人間だったから。
吐く言葉は全て嫌味で、とにかく陰険な嫌がらせしかしないような変人だった。
毒父や毒母とそっくり。
そのジジイを何故か奴ら兄弟は神のように崇拝していて、ジジイの機嫌を損ねないように、ジジイの気持ちのためにと考える兄弟で、ジジイを神のように崇めていた。
強い、権力の持ち主のように。
だから、ジジイが広島に来た時も、と言うか、どうせ女が招待をしている。
ジジイに気に入られたい、機嫌を良くしたい為に。
何故かジジイの機嫌が一番で、ジジイらに異常に恐れていて、ジジイの機嫌をとることしか考えていない。
要するに、旦那に対してと同じように考えている。対応をしている。
あのキチガイのジジイを偉大な人間、神にように思い、そのキチガイっぷりを強い、怖い、えらい、上の人間のように思い、ジジイの機嫌を損ねないようにまるで精神的な奴隷のようになっていた。
そして、私達子供にも、ジジイの接待、ジジイが機嫌良くなるようにと要求をする。
ジジイの機嫌、気分が一番で、そのジジイが望むように、機嫌が良くなるように思考をするようにと強要をする。
私らはジジイが大っ嫌いだった。ので、来られても全く楽しくないというより、まだ幼児の孫に対して嫌味ばかり言うので苦痛極まりなかったが、とにかく苦痛極まりなかったが
、ジジイは孫を思っているのに、せっかく可愛がっているのに、何でそんなことを思うんだと完全にジジイの味方になって責め立てられるから、私らがそう思うことがいけないように責め立てられるので、思ってはいけない、ジジイが嫌な思いをしないように、嫌ってはいけない、
可愛がられてありがとうございまいしたと思わなければいけない。
ジジイが望むように、はたからみて、普通の家族のようにみられるように振舞わなければならないと思い、自分の思いを自分にも隠して、
完全に魂をなくしてジジイが望むようにまるで接待をしていた。
幼児の頃から。
地獄
魂をなくした精神的な奴隷となっていた幼児の頃
むしろ、そうすることで自分の価値があるように思わされていた。
そう !
そうすることで、自分の価値、認められる奴らに、
可愛がられる、姉より贔屓されるとして、自分の価値を自分で思える為にそうしなければならないと思っていた。
贔屓されることで自分に自身がもてる
価値あるとされることで、よしとされることで、姉よりも、自分を認められ、自分に自信が持てるからそうしなければならないと思っていた。
要するに、自己肯定のためもあったのかもしれない
そうしないと、姉のような目にあう。
嫌われる。いじめられる。
多分、それが一番だったと思う。
姉のような目に遭わない為に。
自己防衛からだったと思う。
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