毒親育ちのブログ・毒親サバイバーの私の人生

親に可愛がられて育ったと思っていた私は、実はアダルトチルドレンでした。ことのカラクリに気づいた私の人生を綴ります。

毒親との今までの経緯 (簡単に)


 

私や姉の不幸を無条件に願っているのは、この世で唯一毒親のみ。

世界で唯一、私らのことを無条件に嫌い、憎んでいるのが親。

普通の親とは真逆。

 

 

良く、自分の子供を親が虐待するニュースが流れるが、それを見る度に、ウチの親と同類だといつも思う。

千葉の心愛ちゃんが、キチガイの父親に殺されたニュースを見た時に、ウチの親と精神構造が同じで、まともに直視できなかった。

虐待をする親は決まって、父親が自分の子供を虐待をしていても(躾と正当化をして)、母親は父親からの自分への攻撃を逃れる為に、父親の味方につく母親。

父親のかたを持ち、父親と一緒になって子供を虐待する母親。

ウチの毒親と同じパターン。

 

子供にとっては、地獄そのものの親、家庭。

 

子供を精神的に殺すなら、いっそ、体をさっさと殺せばいいと思う。

 

 

親は、私らが精神的に落ち込んだり、自己卑下し、精神的にダメになればなるほど喜びを感じるキチガイ

逆に、私ら娘が自分に自信を持つこと、自分の意思を持つこと、幸せを一番恐れている親。

何故なら、娘が馬鹿にできると思える人間であると思えることで自分に自信が持てるから。

馬鹿にできる相手でないと、自信を持って付き合えないから。

 

もし、私達が自分に自信も持っている人間であると、自分を馬鹿にされるのではないかと勝手に思い、それを何よりの恐怖に感じているから、

とにかく娘が自己卑下し、自分に自信を持てない人間でないと、親自信が死ぬと思い、何よりの恐怖に感じているのを、子供の頃から異常に感じていた。

 

だから、娘がする全てのことに、馬鹿にしたがる。

馬鹿にして笑いたがる。

 

内容は一切関係ない。とにかく馬鹿にできる人間でないと、自分自身が死ぬから。毒親自身が自信が持てないから。

 

そうやって、私ら姉妹は子供の頃から毒親によって心を殺されてきた。

 

なのに、育ててやったと大きな顔をして感謝を要求する毒親

 

世間では、お前らのような親を毒親と呼んでいる。

 

26歳の時に毒親がとにかく嫌で米子に一人で出た。

10代の時からの私の人生の一番の夢は、親と関わらない人生を送りたいだった。

 

26歳で家を出た時、それまでの親との記憶を全て消せたらどんなに人生が楽になるだろうと思った。

 

やっと一人で住めたのに、ある日突然急にめまいがし、視力も低下し、40度以上の高熱が常にあるような体のだるさに襲われるようになった。

最初の数日間は、ひたすら一日中寝ていたが、全く体が元に戻らない。

 

原因不明の急な体のだるさに、私は死ぬのではないかという恐怖感に襲われた。

 

とにかく、めまいや高熱が常にあるような体のだるさから、普通に働けなくなったので、一人暮らしをしている私は生活できないからと、実家に帰ることを考え出した。

どうしても帰るのは嫌だったが、体が治れば又出ようと思った。

(当時はまだ、親がここまでキチガイな人間だとは思っていなかったから、帰ったのだと思う。)

 

どうしても帰るのが嫌で、帰ることを考えてから、胃腸の調子も悪くなるほどだったが、とにかく治れば又、一人で住もうと思い、実家に帰ることにした。

 

 

27歳で体調が悪くなって、実家に帰ってからは、それまで一人で住んでいた時と毒母はガラッと態度を変えた。

毒母はいつも、私が家を出ると、急に手紙を出してきたり、しおらしい態度を見せるが実家に住むと急に嫌がらせばかりしてくる。完全にノイローゼ人間。

理解不能

 

実家に帰ってからのお前らの態度は一生忘れない。

 

あんな親なら、あの時帰らなければ良かったと、もっと別の方法を探せば良かった、むしろあの時実家に帰るぐらいなら死ねば良かったと思った。

 

いくら私が「体調が悪くなった」と言っても、嘘と思い、全く信じない毒親たち。

勝手に、(私が子供の頃から、自分自身がそうだから、私らもそうなんだろうと勝手に想像して決めつけている)精神的に、特に人間関係がうまくできないから働けなくて、帰ってきたんだろうと考える毒親

 

そして、私は当時、「実家に帰るというと、嫌がらせがひどくなるから、(弱っていると分かると、急に強気に出て、喜んで嫌がれせばかりをしてくる)」それによって私の精神が崩壊するのが怖くて親に

「アパートを引き払って実家に帰る」と言えなかった。

 

 

当時、私はもう貯金が底をついて、一人で暮らせなくなったから実家に戻ってきたので、27歳で実家に戻った時点で貯金はゼロだった。

だから実家に仕方なく帰ったのだが、

 

毒母は、それまでの態度と変わり、私の姿を見てもいつもの「ふんっ!」という態度。

私が帰ったことで弱っていると察し、強気の態度を示す。

 

弱い奴には強くなり、強い奴には小さくなる毒親

 

私は身一つで帰ったので、着替えも持って帰らなかった。(親にアパートを引き払って帰ると言うと、嫌がらせがひどくなるから、アパートを引き払えなかった。だから実家に帰って、親の態度を見てからは、引き払ったと言えないと思い、実家に帰ってからはサラ金でお金を借りて住んでいない家賃を払い続けるという、普通に考えると意味不明な行動をしていた。)

 

身一つで帰って来たので、洋服を少し毒母の物を借りただけで、毎日帰ってきたら真っ先に自分のタンスの中を見て、いかにも私が着ていないかチェックをし、借りていた気配を感じると、わざと私に聞こるようにバンバン!と音を立てて

借りたことを向こうの方で大声をあげて「私は怒っているんだ!」と私へアピールしていた。

 

毒親は、怒ることで自分が上に立てる、偉い人間に思われると勘違いをしているので、やたら、全てのことに対して怒る。全く内容関係なく。

 

単なる、弱い人間の馬鹿。

 

毒母がそうやって怒るから、私は毒母が床の間の机の上にポーンと投げている、ボロボロの服を着ても、仕事から帰ってきてから、毒母は、真っ先に私が自分の服をきているのではないかと、

私の前でわざと怒っているふりを見せてタンスの中をチェックし、「人の服を着ている!!!!!!!!」と、ものすごい勢いで文句を向こうのほうで独り言で

「私は怒っているんだぞ!」とわざと知らそうとしていた。

 

いつものように、扉をバン!バン!と台所で閉めたり、物をガチャガチャと音をわざと立てて、台所で怒っているのを私らへ伝える為に。

 

その様子を見て、毒父は、私が毒母の服を借りている「又、あいつに怒られるぞ」と喜んで笑っていた。

 

とにかく、毒親二人の世界は、異様な世界で実家に帰った当初は、あまりの陰気臭さにビックリしていた。

世間とは全く違う、異様な世界。

 

毎日、私が自分の服を着ているのではないかと、仕事から帰ってから真っ先に、自分のタンスの中を開けてチェックをする毒母を見て、「完全にノイローゼ人間」と感じ、普通の人間ではないと感じていた。

 

 

だから、姉も東京から実家に帰った時は、異様な陰気な世界にいないといけないから、本当に地獄のような世界だったと思う。

 

 

 

自分が着ている服しか持っていなかった私が毒母のボロボロの服を借りただけで、発狂する毒母なので、私が家にあるご飯を食べると、当然、「勝手に食べやがった!」と怒るので、私は実家に帰ってからは

サラ金でお金を借りて、自分の食料品やシャンプーや石鹸などの自分の生活用品を買っていた。

 

私が食べそうなウィンナー等は冷蔵庫の奥の方に隠してあり、卵は流し台の奥の方に隠してあったりするのを毎日見たり、私の茶碗が流し台にあると、それだけを洗わずに自分のものだけを洗って、私の端だけが流し台に残っているなど、

とにかく私のためには何一つしたくないという毒親

単なる嫌がらせ。

それを見て、私が暗い気持ちになると思うと、何よりの喜びを感じるキチガイ

 

当初は実家を早く出るためにも早く体を治そうと思っていたが、

毒親から日常生活全てに嫌がらせをされていたので、只でさえ「死ぬのではないか?」と思うほど体がだるくて仕方なくて、自分の体のことで実家に帰るほどかなり落ち込んでいる上に

毒親から弱っていることを喜ばれて日常生活全てに嫌がらせを二人からされていると、すぐに、私は精神がおかしくなっていっていた。

 

もう、ここにいては、体を治すことなんて無理だから死のうと、死ぬことばかりを考えて、どうやったら確実に、100%、人を巻き込まずに死ねるかと、自殺する方法ばかりを毎日考えるようになっていた。

 

だから、実家に帰ってから借金をして、米子に借りっぱなしのアパートの家賃と、自分の食費や生活用品などを買っていたが、どうせ死ぬのだからと、返済も借金をして返すという完全にノイローゼな行動をしていた。

 

米子の部屋も、これで完全に帰りますと親に悟られると、嫌がらせが加速するから、それによって私の精神が崩壊するのが怖くて、1年近く解約できずにいた。

 

普通に考えると、家賃や食費やシャンプーなどの生活用品を自分で買うならそのまま米子のアパートのいれば良かったと思うが、当時の私は毒親二人からの嫌がらせによって、まともな思考は全くできず、自殺することしか考えなくなっていた。

 

私が弱っていると分かると、大きい態度をとり、嫌がらせばかりしてくるキチガイの親が一人だけならまだしも、二人もいると、すぐに私は精神がおかしくなっていっていた。

 

自殺しか考えなくなった時、毒母が家を急に出ていった。

 

私には全く何も言わずに。

 

毒母は、私が17歳の頃から浮気をしていたので、この頃も毎週末に外泊をしていた。それも誰が見ても浮気相手との外泊と分かるように。

全く嘘を言わないから。

私が生まれてから一度も親の友達という存在を知ったことがない、全く友達がいない毒親だったが、急に友達とカラオケに行く。そして外泊をすると言い出す毒母。

まるで「私は浮気してまっせー」とプラカードを持っているような毒母だったので、毒父にもすぐにバレていたので、毒父は私にも八つ当たりを毎日していた。

 

私は全く関係ないのに。とばっちりもいいとこ。

 

 

そんな、すぐにバレる浮気をしていて、病気で帰ってきた娘には日常生活全てに嫌がらせをしていた毒母が、私には一切何も言わずに急に家を出ていった。

 

 

嫌がらせをしてきた親が二人から一人になったことで、私は急に精神的に楽になり、物事をまともに考えられるようになった。

 

だから、毒母が出てからはすぐに自殺という選択肢が消えた。

 

そして、実家に帰ってからサラ金で借りていたお金を返済して、アパートも引き払い、全て荷物を実家に運ぼうと考えた。

 

 

そして、そもそも借金をしたくないから、お金の所持金がゼロになったからあの時実家に帰ろうとしていたのに、いざ帰ると、毒親の嫌がらせによって、米子のアパートが解約できず、(実家に帰ると毒親が知ると嫌がらせがひどくなるから。毒親は弱っいると分かると嫌がらせをするキチガイだから。)そして、実家に帰ってからは食料品や生活費は全て自分で買っていたが、そのお金はサラ金で借りるようになっていた。

 

 

このまま親は全く何も感知せず、私が借金を返したら、

そもそも親の嫌がらせによって、借金をするようになったのに、何故私一人でまた返済をしなければいけないのかと、

全く親に知られずに返済するのが嫌で、親もこの苦しみを味あわせたくて、そもそも親の嫌がらせによって借りた借金なので、

親が返済するべきと当時思い、せっかく出ていったのに、連絡するのは嫌だったが、毒母に連絡をした。