毒親育ちのブログ・毒親サバイバーの私の人生

親に可愛がられて育ったと思っていた私は、実はアダルトチルドレンでした。ことのカラクリに気づいた私の人生を綴ります。

毒親との今までの経緯 (簡単に)


 

私や姉の不幸を無条件に願っているのは、この世で唯一毒親のみ。

世界で唯一、私らのことを無条件に嫌い、憎んでいるのが親。

普通の親とは真逆。

 

 

良く、自分の子供を親が虐待するニュースが流れるが、それを見る度に、ウチの親と同類だといつも思う。

千葉の心愛ちゃんが、キチガイの父親に殺されたニュースを見た時に、ウチの親と精神構造が同じで、まともに直視できなかった。

虐待をする親は決まって、父親が自分の子供を虐待をしていても(躾と正当化をして)、母親は父親からの自分への攻撃を逃れる為に、父親の味方につく母親。

父親のかたを持ち、父親と一緒になって子供を虐待する母親。

ウチの毒親と同じパターン。

 

子供にとっては、地獄そのものの親、家庭。

 

子供を精神的に殺すなら、いっそ、体をさっさと殺せばいいと思う。

 

 

親は、私らが精神的に落ち込んだり、自己卑下し、精神的にダメになればなるほど喜びを感じるキチガイ

逆に、私ら娘が自分に自信を持つこと、自分の意思を持つこと、幸せを一番恐れている親。

何故なら、娘が馬鹿にできると思える人間であると思えることで自分に自信が持てるから。

馬鹿にできる相手でないと、自信を持って付き合えないから。

 

もし、私達が自分に自信も持っている人間であると、自分を馬鹿にされるのではないかと勝手に思い、それを何よりの恐怖に感じているから、

とにかく娘が自己卑下し、自分に自信を持てない人間でないと、親自信が死ぬと思い、何よりの恐怖に感じているのを、子供の頃から異常に感じていた。

 

だから、娘がする全てのことに、馬鹿にしたがる。

馬鹿にして笑いたがる。

 

内容は一切関係ない。とにかく馬鹿にできる人間でないと、自分自身が死ぬから。毒親自身が自信が持てないから。

 

そうやって、私ら姉妹は子供の頃から毒親によって心を殺されてきた。

 

なのに、育ててやったと大きな顔をして感謝を要求する毒親

 

世間では、お前らのような親を毒親と呼んでいる。

 

26歳の時に毒親がとにかく嫌で米子に一人で出た。

10代の時からの私の人生の一番の夢は、親と関わらない人生を送りたいだった。

 

26歳で家を出た時、それまでの親との記憶を全て消せたらどんなに人生が楽になるだろうと思った。

 

やっと一人で住めたのに、ある日突然急にめまいがし、視力も低下し、40度以上の高熱が常にあるような体のだるさに襲われるようになった。

最初の数日間は、ひたすら一日中寝ていたが、全く体が元に戻らない。

 

原因不明の急な体のだるさに、私は死ぬのではないかという恐怖感に襲われた。

 

とにかく、めまいや高熱が常にあるような体のだるさから、普通に働けなくなったので、一人暮らしをしている私は生活できないからと、実家に帰ることを考え出した。

どうしても帰るのは嫌だったが、体が治れば又出ようと思った。

(当時はまだ、親がここまでキチガイな人間だとは思っていなかったから、帰ったのだと思う。)

 

どうしても帰るのが嫌で、帰ることを考えてから、胃腸の調子も悪くなるほどだったが、とにかく治れば又、一人で住もうと思い、実家に帰ることにした。

 

 

27歳で体調が悪くなって、実家に帰ってからは、それまで一人で住んでいた時と毒母はガラッと態度を変えた。

毒母はいつも、私が家を出ると、急に手紙を出してきたり、しおらしい態度を見せるが実家に住むと急に嫌がらせばかりしてくる。完全にノイローゼ人間。

理解不能

 

実家に帰ってからのお前らの態度は一生忘れない。

 

あんな親なら、あの時帰らなければ良かったと、もっと別の方法を探せば良かった、むしろあの時実家に帰るぐらいなら死ねば良かったと思った。

 

いくら私が「体調が悪くなった」と言っても、嘘と思い、全く信じない毒親たち。

勝手に、(私が子供の頃から、自分自身がそうだから、私らもそうなんだろうと勝手に想像して決めつけている)精神的に、特に人間関係がうまくできないから働けなくて、帰ってきたんだろうと考える毒親

 

そして、私は当時、「実家に帰るというと、嫌がらせがひどくなるから、(弱っていると分かると、急に強気に出て、喜んで嫌がれせばかりをしてくる)」それによって私の精神が崩壊するのが怖くて親に

「アパートを引き払って実家に帰る」と言えなかった。

 

 

当時、私はもう貯金が底をついて、一人で暮らせなくなったから実家に戻ってきたので、27歳で実家に戻った時点で貯金はゼロだった。

だから実家に仕方なく帰ったのだが、

 

毒母は、それまでの態度と変わり、私の姿を見てもいつもの「ふんっ!」という態度。

私が帰ったことで弱っていると察し、強気の態度を示す。

 

弱い奴には強くなり、強い奴には小さくなる毒親

 

私は身一つで帰ったので、着替えも持って帰らなかった。(親にアパートを引き払って帰ると言うと、嫌がらせがひどくなるから、アパートを引き払えなかった。だから実家に帰って、親の態度を見てからは、引き払ったと言えないと思い、実家に帰ってからはサラ金でお金を借りて住んでいない家賃を払い続けるという、普通に考えると意味不明な行動をしていた。)

 

身一つで帰って来たので、洋服を少し毒母の物を借りただけで、毎日帰ってきたら真っ先に自分のタンスの中を見て、いかにも私が着ていないかチェックをし、借りていた気配を感じると、わざと私に聞こるようにバンバン!と音を立てて

借りたことを向こうの方で大声をあげて「私は怒っているんだ!」と私へアピールしていた。

 

毒親は、怒ることで自分が上に立てる、偉い人間に思われると勘違いをしているので、やたら、全てのことに対して怒る。全く内容関係なく。

 

単なる、弱い人間の馬鹿。

 

毒母がそうやって怒るから、私は毒母が床の間の机の上にポーンと投げている、ボロボロの服を着ても、仕事から帰ってきてから、毒母は、真っ先に私が自分の服をきているのではないかと、

私の前でわざと怒っているふりを見せてタンスの中をチェックし、「人の服を着ている!!!!!!!!」と、ものすごい勢いで文句を向こうのほうで独り言で

「私は怒っているんだぞ!」とわざと知らそうとしていた。

 

いつものように、扉をバン!バン!と台所で閉めたり、物をガチャガチャと音をわざと立てて、台所で怒っているのを私らへ伝える為に。

 

その様子を見て、毒父は、私が毒母の服を借りている「又、あいつに怒られるぞ」と喜んで笑っていた。

 

とにかく、毒親二人の世界は、異様な世界で実家に帰った当初は、あまりの陰気臭さにビックリしていた。

世間とは全く違う、異様な世界。

 

毎日、私が自分の服を着ているのではないかと、仕事から帰ってから真っ先に、自分のタンスの中を開けてチェックをする毒母を見て、「完全にノイローゼ人間」と感じ、普通の人間ではないと感じていた。

 

 

だから、姉も東京から実家に帰った時は、異様な陰気な世界にいないといけないから、本当に地獄のような世界だったと思う。

 

 

 

自分が着ている服しか持っていなかった私が毒母のボロボロの服を借りただけで、発狂する毒母なので、私が家にあるご飯を食べると、当然、「勝手に食べやがった!」と怒るので、私は実家に帰ってからは

サラ金でお金を借りて、自分の食料品やシャンプーや石鹸などの自分の生活用品を買っていた。

 

私が食べそうなウィンナー等は冷蔵庫の奥の方に隠してあり、卵は流し台の奥の方に隠してあったりするのを毎日見たり、私の茶碗が流し台にあると、それだけを洗わずに自分のものだけを洗って、私の端だけが流し台に残っているなど、

とにかく私のためには何一つしたくないという毒親

単なる嫌がらせ。

それを見て、私が暗い気持ちになると思うと、何よりの喜びを感じるキチガイ

 

当初は実家を早く出るためにも早く体を治そうと思っていたが、

毒親から日常生活全てに嫌がらせをされていたので、只でさえ「死ぬのではないか?」と思うほど体がだるくて仕方なくて、自分の体のことで実家に帰るほどかなり落ち込んでいる上に

毒親から弱っていることを喜ばれて日常生活全てに嫌がらせを二人からされていると、すぐに、私は精神がおかしくなっていっていた。

 

もう、ここにいては、体を治すことなんて無理だから死のうと、死ぬことばかりを考えて、どうやったら確実に、100%、人を巻き込まずに死ねるかと、自殺する方法ばかりを毎日考えるようになっていた。

 

だから、実家に帰ってから借金をして、米子に借りっぱなしのアパートの家賃と、自分の食費や生活用品などを買っていたが、どうせ死ぬのだからと、返済も借金をして返すという完全にノイローゼな行動をしていた。

 

米子の部屋も、これで完全に帰りますと親に悟られると、嫌がらせが加速するから、それによって私の精神が崩壊するのが怖くて、1年近く解約できずにいた。

 

普通に考えると、家賃や食費やシャンプーなどの生活用品を自分で買うならそのまま米子のアパートのいれば良かったと思うが、当時の私は毒親二人からの嫌がらせによって、まともな思考は全くできず、自殺することしか考えなくなっていた。

 

私が弱っていると分かると、大きい態度をとり、嫌がらせばかりしてくるキチガイの親が一人だけならまだしも、二人もいると、すぐに私は精神がおかしくなっていっていた。

 

自殺しか考えなくなった時、毒母が家を急に出ていった。

 

私には全く何も言わずに。

 

毒母は、私が17歳の頃から浮気をしていたので、この頃も毎週末に外泊をしていた。それも誰が見ても浮気相手との外泊と分かるように。

全く嘘を言わないから。

私が生まれてから一度も親の友達という存在を知ったことがない、全く友達がいない毒親だったが、急に友達とカラオケに行く。そして外泊をすると言い出す毒母。

まるで「私は浮気してまっせー」とプラカードを持っているような毒母だったので、毒父にもすぐにバレていたので、毒父は私にも八つ当たりを毎日していた。

 

私は全く関係ないのに。とばっちりもいいとこ。

 

 

そんな、すぐにバレる浮気をしていて、病気で帰ってきた娘には日常生活全てに嫌がらせをしていた毒母が、私には一切何も言わずに急に家を出ていった。

 

 

嫌がらせをしてきた親が二人から一人になったことで、私は急に精神的に楽になり、物事をまともに考えられるようになった。

 

だから、毒母が出てからはすぐに自殺という選択肢が消えた。

 

そして、実家に帰ってからサラ金で借りていたお金を返済して、アパートも引き払い、全て荷物を実家に運ぼうと考えた。

 

 

そして、そもそも借金をしたくないから、お金の所持金がゼロになったからあの時実家に帰ろうとしていたのに、いざ帰ると、毒親の嫌がらせによって、米子のアパートが解約できず、(実家に帰ると毒親が知ると嫌がらせがひどくなるから。毒親は弱っいると分かると嫌がらせをするキチガイだから。)そして、実家に帰ってからは食料品や生活費は全て自分で買っていたが、そのお金はサラ金で借りるようになっていた。

 

 

このまま親は全く何も感知せず、私が借金を返したら、

そもそも親の嫌がらせによって、借金をするようになったのに、何故私一人でまた返済をしなければいけないのかと、

全く親に知られずに返済するのが嫌で、親もこの苦しみを味あわせたくて、そもそも親の嫌がらせによって借りた借金なので、

親が返済するべきと当時思い、せっかく出ていったのに、連絡するのは嫌だったが、毒母に連絡をした。

 


 

叔母二人と叔父を異常に怖がっていた幼少期


 

毒母の兄弟達が私らが生まれた時から、やたら近寄ってきていたので、それで私らがこんなに恐ろしい感情と完全に奴らの思うがままに思考するようになったと思う。

 

生まれた時からだから。

 

操作するのは簡単だろう。

 

これが、幼少期にまともな人間が近くにいたら、自分の思考に気づき、感情も表に出せて、奴らの思い通りの人間にはならなかったと思う

 

 

特に私たちが怖がっていたのは、女の兄弟。

 

男の方は特に威圧感というか、嫌い、憎たらしくてたまらないという感情を私たちに向けることもなく、絶対的に陥れよう、上に上がるな、いい気になるな、下にしたい、上にいたいという私たちに対する異様な依存心みたいなものは感じなかったので、こうさせたいみたいなものは感じなかったので、恐怖感を感じることはなかった。

 

 

そう、女の兄弟が異常に怖かった。

 

これがトラウマなんだと思う

私の幼少期の

 

 

思い出せないぐらいに憂鬱な人生だった。

 

思い出すのが苦痛すぎて、思い出したくないぐらいの憂鬱で苦痛な人生だったから。

幼少期は。

 

 

だから、今までも全く思い出すことはなかった。

思い出したくない。苦痛すぎるから。

 

 

 

純子がアパートにいる時から度々きていたらしい。

で、何やら遊ぶことをやっていたらしい

 

 

多分、純子は私らに自分の姉が取られることを嫉妬している

で、それを喜ぶ女

敵のように思い、嫌われている姉をみて、喜ぶ

自分に自信が持てる

 

同盟を組んで仲いい姉妹と錯覚をする

 

暗く、落ち込み、自分たちのことを怖がり、言いなりになる姉が大好き。

自分に自信が持てるから。

 

だから、やたら近く。

 

甘え。

 

で、自分は明るいとして自信を持つ。

 

 

 

奴がそう思っているから、そうなんだと

 

女は純子や兄弟達が私らを嫌っている、下に見ている、憎んでいる、認めないから私らはそういう人間なんだと思い、奴らがバックにいることで、いじめのバックにいることで、私らをねじ伏せれる、封じ込めるとしてやたら兄弟達を私らに会わそうとしていた。

 

そうすることで、私らを封じ込めて、自分が上に立てるから。

 

自分を持たせない人生を送らせられるから。

 

 

いい気になるな

 

あいつらが皆、これが普通で、可愛がっている、普通の家族、叔母や叔父としていたので、普通と思い、

 

可愛がられていると奴らのために思わなければならないと思っていた。

 

いじめの根性を感じていたから。

 

それを仲が良いとしていたので、それが仲良いことと思っていた。

 

 

 

傷つけてやろう。

絶対に上に上がるな、

くらい人間としたい。

陥れたい。

いいきになるな

自分を怖がり、上に見られることが人生で初めてと嬉しくてたまらないから、それで自信を持って生きれるから、絶対にそうさせたい。

そうでなければ自分が生きられない

 

くらい人間としたい

バカにすべき人間としたい

 

自分を持たれるのが怖い

 

自分中心として考えて欲しい

 

気に入らない

 

男に気に入られているのが気に入らない。

いいきになるな

姉をわざと可愛がる

 

姉をわざと贔屓をする

私への嫌がらせのため

上に上がるな

 

面白くない

男に可愛がられているのが

 

 

絶対に上に上がるな

自分の娘の方が明るい

 

お前は暗い

 

 

それを女は感じて、奴らがそう思っているからそうなんだろうと

 

私らを完全に奴らの方について、一緒にバカにしている、

 

バックがついてくれたと喜ぶ

同盟を組んで、仲良い姉妹とする

 

 

 

完全なるいじめの根性を感じていたので異常に怖かった。

 

それを偉い、強い明るい人として、上にいたので、そうなんだと思っていた。

 

本当は、異常に弱くて、異様に暗い、人間として最低な物体だった

 

 

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叔母や叔父たちにも精神的に虐待されていた。毒母のバックについていた叔母や叔父たち


 

市営アパートにいた時も、純子はきたことがあるようだ。

写真があるので。

 

おもちゃのカットをしていた写真が。

あの時は、アパートだったので、まだ他の子供たちとの接点が多かった時代なので、あまり奴らは私たちに介入してこなかったと思う。単なるいじめだから。他人の目があるから。

 

だが、どうせ女は奴を一番に考える。

 

私らよりも、なぜなら私らよりも大人だから強く思う。

それと、もともとの兄弟の序列があるように思う。

 

で、奴は姉を取られた気がして嫉妬をする。

自分の方に向いてほしいと思う。

 

絶対にこちらの意思を聞きたくない。

 

人にバレないように。

良いおばに見られるように。

 

 

絶対に私の意見は聞かない、私が自分の意思を持たず、奴らの為をきを使うように仕向ける、

わざと機嫌が悪くなるなど、偉そうにする、バカにするなど。

 

姉に対してのように。

 

上に立ちたがる。

 

 

それを二人で共鳴し合い、仲良し姉妹のように錯覚をし、こんなの初めての感覚と快感を得ている。喜んでいる。

 

 

異常に純子にも怖がっている姉を見て、私も同じように怖い存在のように思う。

 

 

自分の意思は全く聞かれず、とにかく奴らがすることはなんでも良いと、何でも許されるとそういう神のような存在のように思い、自分の気持ちは無視して、

 

奴がいるから、純子が私らを嫌っている、バカにしているから認めないと女が思っている。

 

何故、嫌うのか、バカにするのかと不思議そうに思っている女を感じる。

 

旦那は私を贔屓しているのに、でも、兄弟たちは嫌う、バカにするから同じようにそういう人間なんだと私らを判断し、そうやってバカにすることで上に兄弟たちを見る。

 

強い、偉い人間のように思い、私たちをバカにする。

 

そう、奴らの考え方は、バカにしていると、偉そうにしていると偉い、強い人間のように上にみる。

 

 

ので、女がそう思っているから、そう思えと圧力を無言のを感じるからそう奴らを完全なるいじめの構図で、奴らが上に見て、奴らがバカにする、嫌っているから私らは人としてだめ、認められないと思い、自分を認められずにいて、奴らのすることは何でもよい。

 

奴らが嫌いでも、怖くても怖がってはいけない。

嫌うと奴らが嫌がるから。

あんなに可愛がってあげているのに。とんでもない奴と責め立てるので、私らは嫌ってもいけないと思い、本心を自分にも隠していたし、

 

とにかく、奴ら中心に考えなければいけない。

 

嫌がることを思ってはいけないように思っていた。

女が、兄弟たちがいるから、奴らが嫌っているから自分も嫌うと集団のいじめのような構図となっていたので、

 

ただの女だけではなく、常に自分にはバックがいると、兄弟たちの存在を私たちにチラつかせていて、封じ込めようとしていたので、私らも兄弟たちがいるから絶対的に女が強いのだと完全に女と妹二人、プラス弟一人の4人対私ら生まれたばかりの赤ん坊と幼児の姉のいじめの構図が出来上がっていた。

 

 

要するに、毒親だけではなく、その毒親っぷりを増強させる兄弟、特に姉妹二人の存在が大きかったように思う。

 

そして、この叔母二人がやたら幼い頃の私たちと関わろうとして、遊びに来ていたのである。

 

今思うと、堂々といじめられるから、自分に自信ができるから、そんな存在はこの世で私たちしかいないから、やたら私たちの元へ来たかったんだと思う。

 

そして、私たちはこの叔母や兄弟、親戚たちが嫌で仕方なかった。

 

本当に憂鬱、苦痛以外の何者でもなく、

 

鬱状態になるぐらい嫌だったのだが、

嫌がるとそいつらが嫌がるから、嫌がってはいけないと、女や兄弟たちが思っていると脅迫しているのを感じるから、そう思ってはいけないのだと思い、我慢をしていた。

 

そう思っていることに自分が気づいていないが。

 

気づいてもいけない、関係が崩壊するから。

 

そこまで完全に、操られていた。

 

 

そして、怖がっていると弱虫と又、レッテルを貼られるので怖がっていることを自分でも認められなかったが、本当に怖かった。

子供の頃はあの二人がとくに。

 

 

何故なら、私たちのことが大っ嫌い、憎たらしくてしょうがないという感じで、態度や吐く言葉全てが上から目線で人をバカにする、下に見たがり、とにかく嫌味ったらしく、憎たらしくてしょうがないと思っていることが、いじめの感情をものすごく感じていたから。

 

正にいじめ。

 

だから、恐ろしくてしょうがなかった。

 

親や叔母、叔父が姪っ子をいじめるという異常な、異様な世界も怖かったのだと思う。

 

人としての異様さ、異常さを感じて。

 

それを奴らは、私らに怖がられているのを感じて、自分たちが強くなったと、偉い、上に立てたと喜び、こんなの人生で初めて!と、今まで逆の立場でバカにされていたのに、初めて自分たちをこんなに怖がり上にみる人ができたことで喜び、私たちをそう見ていることでバカにし、益々いじめるようになっていた。

 

正にいじめの世界。

 

これで、急に私たちが上に立つとしゅんとなる弱虫。

 


 

 

 

 

 

けいこちゃん、

 

 

 

祖父も毒祖父だった。祖父のキチガイっぷりを強い人、偉大な人、神のように崇める毒母とその兄弟たち


 

むとにかく私らに対して偉そうで、威張り腐って、私らを完全に下に見ている、バカにしたがる、嫌っている、とにかくものすごい威圧感を感じていて、

 

私も姉もとにかく恐怖を感じていた。

 

特に、あのサチエと純子は

 

 

多分、私が赤ん坊の頃から、もう私が物心がつく前から女の兄弟達と私の毒祖母や毒祖父達とも付き合いがあり、洗脳されていたんだと思う。

 

私がまだ生まれたばかりの頃の写真を見たことがあるのだが、

赤ん坊がいることで、 そこでの兄弟や祖父達が表面上明るく、楽しいような感じに見えるとして、私が最大の功績、親善大使となっていたように思う。

 

私と姉が。

奴らが願う、良い家族のように表面上見えるとして。

 

 

それを、奴らは私達には自分たちが可愛がってやったとして、良いおば、良いおじとして見ろと、向こうを立てろと要求をする。

本当は、良い家族に見られたい奴らのために、私達のおかげでそれが叶っていたのに。

 

私達がいたから、あの、楽しくて、円満な家族のような雰囲気が作れていたのに。

 

だけど、それを自分たちが良い叔父や良いおば、面倒を見てやったとして、上から目線で威張り腐ってそう思えと感謝を要求する

 

だから、私は、本当は私らが奴らの願望を叶えてあげた功労者なのに、

あれで、可愛がられたと、あいつらが望むように思わなければならないように感じていた。

 

恐怖心から。脅迫観念から。

 

まさに、脅迫。

 

だから、あまりの恐ろしさに、人をバカにして、してやった!可愛がってやった!!と、責め立てるので、そう奴らが望むように思わなければとんでもない奴となると思い、

奴らが望むように可愛がられたと思わなければいけないと思っていた。

 

全く、楽しくも嬉しくもなく、苦痛でした無い空間だったのに、

幼児の頃の私達にとって。

 

こう思えと脅迫する奴は、皆同類

 

どこが可愛がっているんだと思う。冷静に考えると、

単なる脅迫。

 

まだ、幼児を捕まえて。

 

それは、そうはっきりと言葉に出して言うのでは無い。

 

そうすると、おかしいと誰が見てもそうなるから。

 

そう表立ってならないように、表面上は何も言わず、言動や態度、空気感でそう伝わってくるのである。

どう考えているのかがわかる。

伝わってくる。

 

無言の要求。

 

全てが。

だから、どう感じているか、自分の心に目を向けない私には、奴らの本心が意識の世界ではわからない。

 

本当は、そう感じているから。

 

 

今思うと、生まれた時のアパートにいた時は、純子がよくきていたらしい、

広島にいた時は、ジジイらがきていたらしい。たまに

で、その時に、女が松江に帰りたいと言ったらしい。

 

それで、旦那が松江に帰ることにしたらしい。

 

私らからすると、広島が良かったのに。

何故なら、ジジイは来れないし、純子もいないから。

 

それに、ジジイのところに行けないから、サチエなどの兄弟とも会う機会が減る。

そう、奴らの兄弟らと、親族と会う機会が減るから。

 

多分、女はそれが嫌だったのでは無いかと思う。

 

奴らがいることで、私らを殺せるから。

 

広島では、私らがのびのび、野放し状態になるから、奴らがいることで殺せるから、それでよかったのでは無いかと思う。

女は人生でそれを一番怖がっていたから。

 

もちろん、当時、広島に行くときも、女が帰りたいからと言って帰る時も、私らに何の相談もなし。

むし。

 

私達の意見は・

勝手に住むところを変えられる。

無視するのは当たり前の世界。

 

で、勝手に決められるのは当たり前のことと思い、言われるがままに手下のように、奴隷のようについていかなければならないと思っていた。

 

 

そして、大変、大変という女たちを、大変なんだと敬わなければならない、と思っていた。

 

 

その頃、ジジイが一人で広島まで来ていたらしい。

写真があるから。

 

観光案内をしていたらしいが、物心がついた頃からジジイが大嫌いだった。

何故なら、全く愛情のかけらもなく、ものすごく私らを嫌っていて、嫌味の塊のような人間だったから。

 

吐く言葉は全て嫌味で、とにかく陰険な嫌がらせしかしないような変人だった。

 

毒父や毒母とそっくり。

 

そのジジイを何故か奴ら兄弟は神のように崇拝していて、ジジイの機嫌を損ねないように、ジジイの気持ちのためにと考える兄弟で、ジジイを神のように崇めていた。

 

強い、権力の持ち主のように。

 

 だから、ジジイが広島に来た時も、と言うか、どうせ女が招待をしている。

ジジイに気に入られたい、機嫌を良くしたい為に。

何故かジジイの機嫌が一番で、ジジイらに異常に恐れていて、ジジイの機嫌をとることしか考えていない。

 

要するに、旦那に対してと同じように考えている。対応をしている。

 

あのキチガイのジジイを偉大な人間、神にように思い、そのキチガイっぷりを強い、怖い、えらい、上の人間のように思い、ジジイの機嫌を損ねないようにまるで精神的な奴隷のようになっていた。

 

そして、私達子供にも、ジジイの接待、ジジイが機嫌良くなるようにと要求をする。

 

ジジイの機嫌、気分が一番で、そのジジイが望むように、機嫌が良くなるように思考をするようにと強要をする。

 

私らはジジイが大っ嫌いだった。ので、来られても全く楽しくないというより、まだ幼児の孫に対して嫌味ばかり言うので苦痛極まりなかったが、とにかく苦痛極まりなかったが

、ジジイは孫を思っているのに、せっかく可愛がっているのに、何でそんなことを思うんだと完全にジジイの味方になって責め立てられるから、私らがそう思うことがいけないように責め立てられるので、思ってはいけない、ジジイが嫌な思いをしないように、嫌ってはいけない、

可愛がられてありがとうございまいしたと思わなければいけない。

 

ジジイが望むように、はたからみて、普通の家族のようにみられるように振舞わなければならないと思い、自分の思いを自分にも隠して、

完全に魂をなくしてジジイが望むようにまるで接待をしていた。

幼児の頃から。

 

地獄

 

魂をなくした精神的な奴隷となっていた幼児の頃

 

 

むしろ、そうすることで自分の価値があるように思わされていた。

 

そう  !

そうすることで、自分の価値、認められる奴らに、

 

可愛がられる、姉より贔屓されるとして、自分の価値を自分で思える為にそうしなければならないと思っていた。

 

贔屓されることで自分に自身がもてる

 

価値あるとされることで、よしとされることで、姉よりも、自分を認められ、自分に自信が持てるからそうしなければならないと思っていた。

 

 

要するに、自己肯定のためもあったのかもしれない

 

そうしないと、姉のような目にあう。

嫌われる。いじめられる。

 

多分、それが一番だったと思う。

姉のような目に遭わない為に。

自己防衛からだったと思う。

 

 


 

 

 

 

 

 

ものすごく弱い人間の毒母が何故私達に、あれだけ偉そうにできていたか


 

自分の意思の無い女が何であんなに私ら子供に威張り腐って、大きい顔をしていたのか?

できたのか?

 

それは、今思うと、あの旦那と、一番大きいのは女の兄弟達。

 

 

しかも、4〜5人兄弟で多い!!

 

あの兄弟の存在が一番だったと思う。

 

女は5人兄弟の長女。

 

実家は家から車で15分ぐらいのすぐ近くにあった。

 

 

女の兄は、女の母親の(私にとっては祖母)連れ子らしく、ジジイとは血の繋がりがなかったらしい。

 

だから、女の兄は一緒に住んでいたが、ジジイに嫌われていて、実の子として思われず、

兄弟と扱われなかったらしい。

 

だから、女の兄弟達も、実の兄弟と思っていないようで、兄弟扱いをしていなかったので、

カウントできないぐらいの存在。

 

その腹違いの兄が大阪在住。と、女、妹が大阪在住。

弟が大阪在住。

妹が同じまちの近くに在住の計5人兄弟だった。

 

私にとっては5人もいて、最悪な環境だった。

 

私の人間嫌いの原因だと思う。この兄弟たちが。

 

 

絶対に許さない。

私が死んだらこいつらの子孫まで呪い殺してやると思うほど。

 

 

私がされたことをそのまま仕返してやる。

 

 

女は男が姉を異常に嫌っているから、それに同調して姉を嫌っていじめていた。

 

私はその状況を見て、あまりの恐怖心から親の言いなり、望むように思考をし、行動をしていた。

 

それを親は喜び、姉より私を贔屓しているかのように当時は思っていた。

 

そんな、我が家の様子を見て、女の兄弟、特に大阪在住のサチエと松江在住の純子は、私が面白く無いようで、親に贔屓されているからと言っていい気になるなとものすごく嫌い、逆に私への当てつけかのように姉を贔屓していた。

 

そう、今思うと、女と全く同じことをしている。

 

 

 

 

私が物心がついた頃から、私が親に贔屓されていることで、私が上に行かれるのが怖い感じで、私がどんどんいい感じに成長するのが怖がっている感じがした。

 

 

自慢みたいに成長するのが怖くて、それを阻止したい、

上に行かれると、バカにできない、いじめられないから面白く無い。

自分に自信が持てなくなる。

バカにできることで今の世界が保たれているのに、崩れてしまうのが怖い

と言うのを感じた。

 

 

 

だから、私を絶対に潰したい。

だから、わざと私を嫌って、褒めない、絶対に。

自信をつけさせたく無いし、喜ばせたく無いから。

 

とにかく嫌う。

 

よく考えたら、あの人たちはしょっちゅういたが、まともに二人で会話をしたことなんて全くと言っていいほど無い。

 

ものすごく嫌われているのを感じていた。

 

口には出さないけど。

 

で、わざと私への当てつけのように姉を贔屓しているのを感じていた。

 

でも、とにかく私らに対して偉そうで、威張り腐って、私らを完全に下に見ている、バカにしたがる、嫌っている、とにかくものすごい威圧感を感じていて、

 

私も姉もとにかく恐怖を感じていた。

 

特に、あのサチエと純子は。

 

弟の徳弘は、ほとんど実家へ帰ってこなかったので、あったことがなかったが、1^2回帰ってきて、あったときは同じように感じていたが、あの女ほどではなかったように思う。

 

 

 

 

 

多分、その人としての異様さを感じて、子供の頃は異常に怖かったんだと思う。

 


 

 

可愛がられていたと思っていた理由


 

このブログ、誰も見ていないと思うので、私の為だけに書こうと思います。

私がわかれば良いので、文章滅茶苦茶です。

 

 

毒母は、子供の頃から私達にはものすごく威張っていた。

完全に上から目線で、今思えば私達をぞんざいに扱っていた。

 

が、あれで育ててやったとものすごく恩着せがましく言い、感謝を要求するので、あれで感謝しなければいけないと、そうしないととんでもなくダメな人間なのだと思い、感謝をしなければならないと思っていた。

 

今思えば、ぞんざいにあつかわれていたが、周りの人間があれで、普通の親。

感謝をしなければいけないと、いじめのように攻め立てらているように感じていたので、(もちろん口には出さないが、そういう威圧感を感じていた)あれが普通の親なんだと思っていた。

 

とにかく威張り腐っていて、上から目線で、何でも私達のことをバカにして、親戚の人たちがバカにしているし、認めないから、こいつらには価値がないと思っているように感じていた。

 

だから、私は、親戚の人たちがバカにしていて、嫌っている、認めないから私はバカにするべき人間で、親が偉そうにしているから、あれが親としての強さ、偉さのように思っていた。

親もそう思っていたように感じていたので。

姉がとにかく親を怖がっていたので、私も本当はめちゃくちゃ怖かったと思うが、

怖がっているのを弱虫としてバカにしていたので、そう思ってはいけないと思い、その思いを自分にも隠していた。

 

偉い人、強い人、姉の思いが写り、怖かったし、バックに親戚が常に感じていて、集団いじめにあっているようだった。

 

とにかく恐ろしくて、楽しいのたの字もない子供時代だった。

 

でも、怖がる人間ではダメだし、余計バカにされていじめのような目に遭う。

 

偉大な人間のように思って、特に男は嫌いに思ってはいけないから、(男が異常に嫌がるから)何をされても許さなければならない。

嫌と思ったり態度に出しては絶対にいけないと恐怖心から思っていた。

 

 

キチガイの相手を幼児の頃からさせられていた。

 

そうすると、女も喜んでいたので、私はそうしなければならないと、価値がない、認められないように思っていた。

 

 

バカにするけど、姉みたいに落ち込んだり、嫌がってはいけない。

奴が望むように、道化師に徹して、私がバカにできる存在の人間です。とバカにされていることを受け入れて、奴らが喜ぶような態度をしなければいけない、

奴らが喜ぶように自分がバカですとして、自分をダメ人間として認め、奴らを上に見てダメ人間として笑ってなければいけない。

 

奴らとの会話は全てそれで、その私が受け入れて道化師となって笑っていることで、笑う=明るい、楽しいこと、明るい家族のように奴らは思っていたので、私もそう思っていた。

 

仲良い、普通の家族と

 

でも、姉は普通の感覚の人間なので、バカにされると嫌がったり、落ち込んだりする。

そうすると、奴らにとっては暗い奴とレッテルを貼ってさらにバカにする。

 

全てがこの会話だったと思う。

 

全てがバカにしたがる会話。

 

で、私が嫌と思わずに、親が望むように、恐怖心から、それを受け入れて、道化師となって、バカな人間ですとして、認め、上に見て、笑っている。

 

これ自体がいじめの関係ではないか?

 

 

どこが仲良い、可愛がられているのか?

 

それを側から姉が見ていて、私は可愛がられていると見ていたので、私はそうなのだと思っていた。

 

 完全に、魂を捨てている私。

 

姉の方が人としてまとも。


 

家族写真でいつも暗い表情で写っている姉を、心の中で暗い人間とバカにする毒親と私。そう思われていることを感じて自己卑下している姉。

 

幼い頃の家族写真を見ると、私が生まれる前と後では、姉の表情や、親の表情が違うように私が幼い頃から思っていました。

 

 

 

毒母が私を身ごもっている頃の姉の写真で、おままごとセットが姉の前に並べてあり、その前に姉がかしこまって正座をしていたり、起立している写真があるのですが、

その姉の表情が暗く、いかにも親に無理やりやらされている感を、その写真を見て感じていました。

 

 

 

私が幼い頃からその写真を見て、いかにも姉が親に無理やりやらされていて、姉が暗い気持ちになっているのを私は感じていたし、

 

その時の姉と親との関係や状況が(無理やりやらせているという)想像できていたのですが、

 

 

そういう私の本心を口に出して言ったことはないですし、

 

 

自分がそう思っていると、自分の本心に気づいてはいけないものと無意識に思い、自分の本心にも気づいていませんでした。

 

 

私がそう思う、自分の本心に気づくことを親が一番嫌うので、何でもない、世間から見て普通の家族としなければいけないので、自分の本心に気づいてはいけないことのように無意識に思っていたので、私の本心に気づいていませんした。

 

 

 

 

 

 

 

 

今思ったのですが、私の本心や感じたことは、全てが親の嫌がることになるので、(親が虐待をしているから。)

全ての自分の本心に、私自身は気づけないようになってしまう。

 

 

 

 

 

 

私が生まれるまでは、姉はまだマシだった、親にまだ自分の子供としてまだマシに接しられていたのに、私が生まれてからは、親は私を贔屓していたので、子供の頃の家族写真を見ると姉の表情がどの写真も非常に暗いです。

 

 

 

 

 

とても、幼児期や子供の家族写真とは思えない表情で、あの写真を見ただけで、どのような家族関係なのか、想像がつくような感じなのですが、

 

 

(親戚の人たちは、皆、写真を見て、姉の表情がいつも非常に暗いですし、私達姉妹が生まれた時から接しているので、どのような家族関係でいるか、十分にわかっていたと思うのですが、

誰一人、本心を口に出す人はいませんでした。

今思うと、皆、気づいているのに、気づいていないふりをしていたので、私は、そのことに触れてはいけないような気がして、暗黙の了解で、親にとって都合が悪いことには意識の中でも触れてはいけなので、自分にも隠していました。)

 

 

 

 

 

ただ、子供の頃の家族写真を見ると、姉の表情が異常に暗く、私や毒親の表情は明るいので、姉は暗い人間で、私は明るい人間と私が子供の頃から思っていました。

 

 

それは親がそう思っていると感じていたので、私もそのように思い、

そして、親が思っているように、姉のことを暗い人間として、バカにし、私は姉より明るい人間として思い、だから私の方が姉より人として上の人間と思い、自分に自信を持っていました。

 

 

親がそのように思っていると感じていたので、その通りなのだと無意識に思っていました。

 

 

 

 

姉は、写真の中での自分の表情が暗いから自分は暗い人間として親は思い、妹は、写真の中での表情が明るいから明るい人間=良しとして思っている。

そして、姉に暗い人間としてレッテルを貼り、嫌っていることを感じて、自分のせいと思い、落ち込み、傷つき、自分が悪いと卑下しているのを親は常に感じいて、それを喜んでいたように思います。

 

姉の上に自分が立てるし、姉を精神的に潰せるので。

(今思うと、親子と言う名のいじめの関係性だと思います。)

 

 

 

親は姉の上の立場に立って、自分が偉くなったように感じて、私達子供には大きな顔をして、非常に偉そうにしていて、

親は、自分に自信が持てると喜んでいたように今考えると思います。

 

 

親は、人生でこんなの初めて!と喜んでいたように思います。

 

 

自分(毒親)が人(子供)上の立場に立てたことで、それが親としての威厳のように勘違いをしている。

 

 

単なるいじめ、虐待の世界を。

 

 

 

 

 

そう毒親は感じているが、その本心を毒親は絶対に口には出さないし、それが親としての偉大さ、偉さのように勘違いしていた毒親。(今も毒親はそう勘違いをして生きている。)

 

 

幼い私は、そう感じていることに触れてはいけない。

気づいてはいけないことのように思い、親のことを、偉大で、強い人間のように思い、又、毒親との親子関係にいじめの世界、異様なものを子供心に感じていたので物凄く怖かったと思う。

 

 

 

私達娘が親のことを怖がっているのを親は感じて、毒親は、自分達が偉大な人間、強い人間のように自分自身のことを思い、自信を持っていたので、私もそうなのだと、子供の頃から思っていたように思います。

 

 

 

でも、その本心には、私自身が全く気づいていませんでした。

 

 

 

 

 

姉も、子供の頃のどの家族写真を見ても、自分の表情が暗いことを思い(毒親がそれを心の中では指摘しているのを感じるから。)、妹はいつも明るい表情をしていると思っているのを私も感じていたので、私もその通りに考えるようになったと思います。

 

でも、姉もその本心を口に出すことは一切ありませんでした。

 

 

 

それを気にしながらも、一緒に写真を見ていても、そのことには触れず、ただ、自分を卑下しているのを私は常に感じていました。

 

 

誰も触れないので、私も一切そのことには触れないし、触れてはいけないことのように感じ、

その本心を自分にも隠していた。

 

 

誰も触れないから、触れてはいけないこと、そう私が思っていることを親が嫌がるし、非難される、今の関係性が崩れる、崩壊するように無意識に思っていたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、思うことは、常に暗い表情をしている子供の家族写真など、何か暗い気分の子供や、少しでも子供の異変を感じることがあったら、間違えでも良いので、周りの大人が、児童相談所などへ相談をして欲しいです。

 

 

毒親からすると、そういう周りの目が働いていると感じるだけで、子供に対する態度がマシになると思うので。

(完全なるいじめの世界なので。)

 

毒親に育てられている子供は、周りの他人が気づいてあげる以外に助けられる方法はないと思います。